日本の「こどものまち」活動における全国規模の交流のための集まりは、2007年に大人主体の情報交換会として始まった「こどものまち全国主催者サミット」をルーツに持つ。日本の「こどものまち」の先駆の一つである「ミニさくら」の発祥地、千葉県佐倉市にて、大人向けの情報交換・技術交流会が発意され、子どもがつくるまち研究会の木下勇教授、卯月盛夫教授の参画を得て、参加する全国11の団体を山の頂上(サミット)に見立て「こどものまち全国主催者サミット」と名付け、またその連絡運営を担って動き出した。
近年は子どもや若者が主役となっての議論の場が設けられることも増えてきている。コロナ禍後、長らく枠組み復活の道が模索され、2024年にミニヨコハマシティの会場で再び各地の交流の場がもたれ、さらに、その機運を確実なものとするため、2025年に再び大人のための枠組みとして「こどものまち全国大会」を大阪府箕面市にて本格開催がなされた。現在はその開催主体をこどものまち全国協議会へと再編しつつある。
こうした中で2026年現在、子ども若者中心の全国交流行事が再び名古屋において企画され、その実行が予定されていて、大人主体のネットワーク形成から子ども・若者の自治・社会参画へと至る「こどものまち」の全国規模の交流行事の系譜が改めて連なってきている。加えて2027年度には全国交流20周年として、初めて東京での開催を目指し、各地の協力のもと実行委員会が立ちあがろうとしている。
以下に、その歴史と動きの全体像をまとめてみる。
2007年 始まり(第1回 全国主催者サミット/千葉県佐倉市) 前年からの丁寧な準備実務と首都圏有志の結集を経て、11のまちが集まり「こどものまち全国主催者サミット」が正式に開始された。開会前夜の非公式懇親会を経て当日は広井教授による基調講演からスタート、各地の初顔合わせはスムーズに進み、ゲルト氏と住谷社長との対談では、企業が行う「こどものまち」類似のテーマパークとしての運営についてゲルト氏が疑問を呈する展開となり、会場内は固唾を飲んで見守った。その後、各代表がテーブルについて行われたサミット本会議において佐倉宣言が承認され、最後にサミット佐倉宣言が読み上げられ閉幕した。
代表者会議(各まちより1名が出席して今後の主催のこと等を定める会議):開会直前の昼食を兼ねたこの場で「サミット佐倉宣言」の案が示された。しかし、初めての試みでもあり、想定外に各地の団体より意見が百出した。下案はほとんど跡形がなくなるほど喧々諤々と討論を重ね、最終的には妥協点を見出し妥結した。この際、各地の多様性を尊重して「全国の統一基準づくりを目指さぬこと」、また関連して「権威としての全国ネットワーク組織を作ろうとしないこと」も申し合わされた。
サミット佐倉宣言(全国のこどものまち共通の初めてのステートメント):最後に読み上げられた、活動の原点を示す内容は以下のとおりである。
サミット佐倉宣言
一、「こどもがつくるまち」は、それぞれのまちを愛する気持ちから生まれている。
一、「こどもがつくるまち」は,こどもたちの決める力・変えて行く力から生まれている。
一、「こどもがつくるまち」は、圧倒的に面白くて、徹底的に遊びのまちである。
「宣言」は各主催地で起草してサミット本会議で承認されれば発出できることとなっていた。各回ごとに出す権限を委譲されるが、これまでに宣言が果たされたのは(現在のところ)初回の佐倉1度きりである。
2008年(宮城県仙台市) 分科会形式の採用(第2回大会) 「こどものまち」をミニさくら同様に2002年から開催する以前から、そのあり方の議論を重ねるなど独自の文化を育んできた仙台で開催。この回から「分科会形式」が行われ、「こどものまちと子ども」「こどものまちと大人」「こどものまちとまち」の3つをテーマに、それぞれの興味と視点から各地からの参加者が分かれて参加した。テーマを掘り下げる濃密な意見交換や研鑽の土台が作られた。
2009年(神奈川県横浜市/こどものまちEXPO) 子ども対象セッションの導入と世界大会との同時開催(第3回大会) 「ミニヨコハマシティ(ミニヨコ)」の活動を背景に、「こどものまちEXPO」の愛称で開催。横浜市開港記念会館で行われたサミットと同時に大さん橋ホールでミニヨコハマシティが開催され、サミットの中でも初めて子どもを対象としたセッションが導入された。「子どものための取り組みを大人のみで議論する」という、ややもすると矛盾にも思えた面をうまく見直す形となり、その後も様々な形態ながらその文化が定着していった。また、本大会は「第2回 こどものまち世界大会」との同時開催となり、ドイツで行われた第1回に続きGerd Grueneisel氏が再び来日。さらにドイツのメディア教育NGOである「Sim TV」のSiegfried Barth氏が若者による撮影クルーと共に参加して撮影記録を行った。ミニミュンヘンやドイツ近隣の「まち」の様子を示す展示など、国際的な広がりをもつ回となった。
2006年、佐倉から派遣された2人の子ども大使が現地に赴き、ミニ・ミュンヘン内の物語の一コマとして友好提携の調印式が行われた。この際、急遽もう1都市(市川)のユースメンバーが加わり3都市での調印となったことは佐倉のメンバーを驚かせ、子ども主体で長らく事前の準備を重ねてきたことから複雑な葛藤も残したが、この「一度に2つの日本都市が調印を求めてきた」という予想外のダイナミズムこそが、ドイツ側に「日本国内で『こどものまち』が独自のネットワークを持って急速に広がっている」という事実を強烈に印象付ける結果となった。
この時、ミニミュンヘン内では「国際局(Büro International)」が作られ、その周辺に日本からの訪問者が滞留できる工夫がなされ、現地児童によるアテンド体制などの配慮が行われていた。日本とドイツのこの交流経験に触発されたゲルト、マーギットのグリューナイズル夫妻は、翌2007年に佐倉でのサミットに来日した際、こんどは日本国内の「全国規模のネットワーク(サミット形式)」の圧倒的な熱量を目の当たりにする。
このとき、1地域のプログラムであった「こどものまち(PlayCity/SpielStadt)」を、社会や国家、学術の枠組みへアピールするプラットフォームへと昇華させるヒントを得たのではないか。夫妻は帰国後、ドイツ連邦政府の児童擁護・福祉部門の専門員であるハイデ=ローゼ・ブルックナー氏や、首都ベルリンの巨大青少年施設「FEZ-Berlin」(常設型PlayCity『Fezzity』を展開)のネットワークと合流。日本側のサミット構造に強くインスパイアされる形で、翌2008年のベルリンでの「第1回 こどものまち世界大会」の発案・開催へと繋がっていく。この大会からはミニ・ミュンヘン内でも正式な仕事ブースとして「大使館(Botschaft)」がシステム化され、国境を越えた想いのリレーが、2009年横浜での第2回世界大会の同時開催という形で再び日本へと還流することになる。